深夜、「不登校 親のせい」と検索したことがあるかもしれません。あの日ああ言わなければ、もっと早く気づいていれば。そんなふうに心当たりを数えてしまう人は、少なくありません。そしてその度に、自分を責めてしまう。
誰かに面と向かって責められたわけではなくても、「育て方が悪かったんじゃないか」と、自分で自分に問うてしまう。青楓館高等学院の保護者面談でも、そういう親に数多く出会います。
この記事では、その問いがどこから来るのかを、歴史と調査データからたどります。
「親のせい」説には、流行した歴史がある
まず、歴史の話からです。
1979年、『母原病』という本が出版されました。子どもの病気や異常の6割は母親の育て方が原因だと唱え、登校拒否、いまで言う不登校も、そのひとつに数えた本です。*1 この本はシリーズ100万部を超えるベストセラーになり、「子どもの問題は母親のせい」という見方が、メディアを通じて社会に広く行き渡りました。
けれど、この主張に科学的な裏付けはなく、現在では根拠を欠いた俗説として扱われています。残ったのは、責められた母親たちと、世の中に染みついた「まず親を疑う」という発想だけでした。
この本が売れていたのは、いまの40〜50代の親が、ちょうど子どもだった時代です。つまり、いま自分を責めている親の多くは、「子どもの問題は親のせい」という空気を吸って育った世代でもあります。「育て方が悪かった」という発想は、あなたの内側から自然に生まれたものではなく、外から刷り込まれてきたものです。

専門家でさえ、間違えてきた
「親のせい」にしたのは、流行本だけではありません。かつては専門家も、同じ間違いをしています。
1940年代から60年代にかけて、欧米の精神医学では、自閉症の原因は母親の冷たさにあるという説が唱えられていました。「冷蔵庫マザー」と呼ばれた考え方です。医療機関にも採用され、世界中の母親が、我が子の障害の原因として責められました。*2 しかしその後の研究で反証され、提唱した本人も撤回。いまでは完全に否定されています。自閉症は生まれつきの特性であって、育て方の産物ではなかったのです。
この歴史が教えてくれるのは、人の心のクセです。子どもに説明のつかないことが起きたとき、人は、いちばん近くにいる人を原因にしたくなる。訓練を積んだ専門家でさえ、その罠にはまりました。説明のつかないことが起きたとき、いちばん近くにいた人が、いちばん責められやすいのです。そして子どものいちばん近くには、いつも親がいます。
いちばん近くにいた人のせいだ、というのはただの思考のクセであり、事実ではありません。
だから、あなたの子どもの問題はあなたのせいだと、自分を責めすぎる必要はないということです。
あなたは確かにいちばん近くにいたのでしょう。まだ寝返りすら打てなかったあなたの子どもの面倒をみた。夜中に何度も起きて、ミルクをあげた。お風呂に入れて、ことばを教えて、いまだって毎日ごはんを用意しているかもしれない。
そんな風に近くにいたから、ただ近くにいたという理由だけで、あなただけが責任を負う必要などあるはずがない。

そもそも、原因はひとつに絞れない
では、実際の不登校の原因は、どこまで分かっているのか。文部科学省の委託で行われた要因分析の調査があります。不登校を経験した本人、その保護者、担任の教員の三者に、同じ項目で要因を尋ねた調査です。*3
分かったのは、三者の認識が大きく食い違う、ということでした。教員が「無気力・不安」と見ていたケースでも、本人に聞くと、いじめ、環境の変化、家庭の事情など、答えはさまざま。毎日そばで見ていた大人たちのあいだでさえ、原因の見立ては一致しなかったのです。調査は、不登校の要因を、きっかけとなる出来事と、その手前にある背景とが絡み合った複合的なものとして整理しています。
家庭の状況が、絡み合う糸の一本に入ることはあります。けれどそれは、数ある要因のひとつであって、全体を説明する犯人ではありません。そばにいた大人でも原因をひとつに絞れないものを、「育て方」という一本の線だけで説明することはできません。あなたを責めるあの問いは、証拠より先に、結論だけがある状態なのです。
根拠がないと分かっても、責める気持ちは消えない
根拠がないと分かっても、自分を責める気持ちがすっと消えるわけではないことを、青楓館高等学院は保護者面談の場で知っています。ここまでの話を全部理解したうえで、それでも「してあげられなかった」と自分を責め続ける親が、たくさんいます。
全部してあげたいという気持ちから来ていることは伝わってきます。これまでと同じように、幸せに過ごして欲しいという気持ちもよくわかります。
そういう親に対して、面談で最初にすることは、何かを言うことではありません。聞くことです。ああ、そうでしたか。それは大変でしたね。そう受け止めながら、事情を最後まで聞いていく。途中で助言や励ましを差し挟めば、話はそこで止まってしまいます。
愛情と心配が、何かできることがあったはずだという気持ちと自分を責める気持ちは、切り離しにくいものですね。だから、責める気持ちをほどくのは、気の利いた言葉ではなく、事情を全部聞いてくれた誰かの存在です。すべてを一人で抱え込む必要はないと、安心できる存在です。
そして、それは記事にはできない仕事です。この記事は、あなたの事情をひとつも聞けません。だから、この記事にできるのはここまでです。
確かなのは、自分を責める気持ちは、真剣に育ててきた人にしか生まれないということです。どうでもよければ、この問いを抱えたりしません。その事情を全部聞いてくれる相手を、家の外にひとり見つけてください。学校でも、相談窓口でも構いません。

参考文献
*1: 久徳重盛『母原病 母親が原因でふえる子どもの異常』(1979年)|立命館大学生存学研究所による書誌情報
*2: Wikipedia|冷蔵庫マザー
*3: 文部科学省委託事業・公益社団法人子どもの発達科学研究所|不登校の要因分析に関する調査研究 報告書



