青楓館高等学院・明石校の3階に上がると、教室の景色が変わります。壁に沿って並ぶのは、生徒たちが描いた100点のアート作品。一人ひとりの名前と、「自分はどういうアーティストか」を自分の言葉で説明したパネルが、作品に添えられています。
これは、2026年7月に始動したプロジェクト「Hotaru BASE(ホタルベース)」の風景です。生徒のアート作品を、展示し、発信し、販売し、企業との仕事にまでつなげていく。作品の中には、実際に数万円で買い手がついたものもあります。
なぜ学校が、生徒の絵を「売る」ところまでやるのか。プロジェクトの責任者である明石校校舎長・織田尭さんに、その狙いと、生徒たちに起きていることを聞きました。
構成・取材/Flying Penguin編集部
【Hotaru BASEとは】
青楓館高等学院のアートプロジェクト。2026年7月始動。生徒のアート作品を「つくる」で終わらせず、校内での展示、SNSでの発信、展示会・オンラインでの販売、企業とのコラボレーションを通して社会へ届ける。額装・値付け・梱包・提案までを生徒自身が経験する、実践型の学びの場。責任者は明石校校舎長の織田尭さん。
プレゼンに向かわない子にも、届ける道を
青楓館はこれまで、プレゼンテーションとコミュニケーションの力を伸ばすことで、生徒の個性を社会に届けてきました。全校のプレゼン大会「楓杯」や、企業と取り組むPBL(プロジェクト型学習)は、その代表的な舞台です。
ただ、その道に乗らない子たちがいる。織田さんは、そこから話し始めました。
「青楓館の生徒で、絵を描く子ってすごくたくさんいるんです。でも、朝から晩まで絵は描くけど、プレゼンをしたいわけじゃないし、PBLに参加したいわけじゃない。そういう子たちの作品を、その子たちと共に届けたい。まずは、作品だけでも見てもらう、というところからでいいので」
プレゼンだけが、個性を社会に届ける道ではありません。「止めても13時間描いてしまう」「勉強では自信が持てなかったけれど、アートなら認められた」。そんな一人ひとりの原動力とストーリーを、言葉のプレゼンではなく、作品という別の形で社会に届ける。それがHotaru BASEの出発点です。

「好き」には、賞味期限がある
プロジェクト名の「Hotaru(蛍)」には、このプロジェクトの根っこにある考え方が込められています。
「この『好き』というものには、賞味期限がある、というのが僕らの考え方なんです」
幼稚園の頃は、止めてもクレヨンで描き続けていた子が、小学校に上がると宿題に、中学では部活に、高校では受験に、大学では就活に、社会人になると好きをする時間自体が見つけづらくなり、どんどん時間を明け渡していく。「好きをする」時間の総量は、年を重ねるごとに削られていきます。
織田さんは、自宅の近くで見た蛍の話をしてくれました。蛍が光るのは、6月のうちの1週間ほど。それも、夜8時から9時ぐらいまでで、それを過ぎると疲れて光らなくなってしまうのだそうです。
「すごく綺麗なのに、光っている時間がすごく限定的で。だからこそ、光っているタイミングで届けたいし、より光り続けられるようにしたい。その思いが、蛍とマッチするなと思ったんです」
光っているうちに、「好き」を社会へ届ける。そのための拠点(BASE)が、Hotaru BASEという名前の意味です。
4つの学びの柱
Hotaru BASEの学びは、4つの柱でできています。校内から、SNSへ、市場へ、そして企業へ。同心円を描くように、少しずつ「外」へ広がっていく設計です。
参加するのは、絵が得意な子だけではありません。最近は「自分の枠を外す」という意味にアートを広げていて、絵をほとんど描いたことがないまま参加した子も数人います。描いてこなかった子は、自分に合った表現を見つける旅。描いてきたけれど言葉にしてこなかった子は、自分の作品のどこが人に響くのかを言語化する旅。織田さんいわく、「大きく2種類の旅」があるそうです。

自分の作品に、値段をつける
Hotaru BASEでは、額装も、値付けも、梱包も、生徒が経験します。中でも独特なのが、値付けです。現在の価格帯は、8,000円から3万円ほど。織田さんも一緒に入って、生徒と会話しながら決めていきます。あえて高くしていないのには、教育的な意図があります。
「数千円から1万円で売れた時点でも、高校生からしたら大きなお金ですし、想像できなかった体験だと思うんです。美大生の卒業作品の1作品目が、だいたい5万円と言われたりします。そこに向けて、しっかり価値を高めていって、最終的には自分の肌感覚で、自分の付けたい値段を付けられるのが理想です」
値付けの会話も具体的です。楓杯に来た人が「思い出に持ち帰りたい」「生徒を応援したい」と思ったとき、手が届く金額はいくらか。世の中のどの予算に当てはまるのかを、生徒と一緒に考えます。届け方も同じです。お礼状があった方がワクワクする。梱包もこうした方がワクワクする。受け渡しを対面にしたら、買った人はもっとファンになってくれる。「上手だね」という言葉ではなく、社会のリアルな物差しで自分の表現を受け取る。それが、この柱の学びです。
その物差しは、ときに想像を超えてきます。最初の展示会では、4作品・合計14万円の売上がありました。中には、展示を見た人からその場でオーダーメイドの依頼を受け、1作品10万円で受注した生徒もいます。本人の反応は「え、え?」。数ヶ月かけて、いまもその作品を描き続けています。
「描くのが好き」が、価値になるまで
Hotaru BASEの原型のような生徒がいます。中学時代に不登校を経験したTさんです。勉強では自信が持てず、劣等感を抱えた中学時代。ずっと絵を描くのが好きだったのに、「それが価値になる」という感覚は、まったく持てずにいました。自分は好きだけど、周りから見ていいものだとは思えない。そう思い込んでいたそうです。
青楓館に入ってから、変化が始まります。描いていることを開示したら、「いいじゃん」と言われた。学校の非公式キャラクターのデザインを任された。ロゴのコンペに参加した。校内から純粋に「お願い」される側になり、応えることが「貢献」になった。やがて、外の企業からチラシや絵の依頼が届くようになります。織田さんは、その変化の道筋をこう振り返ります。
「最初は見せない。仲の良い人に見せる。褒められた。『仲がいいからだ』と思っていたけど、もっと多くの人に褒められた。実際に何かを任された。貢献ができた。『じゃあ、本当にそうなのかもしれない』。そうやって、近いところから徐々に外に、自分の表現を出していったんです」
近いところから、徐々に外へ。承認が、貢献に変わっていく。いきなり社会に出ていくのではなく、校内という近い輪の中で「好きが価値になる」体験を重ねてから、外の輪へ踏み出す。Tさんはいま、芸術系の大学を目指しています。

絵で食べていけるのか、という問いへ
ここまで読んで、こう思った方もいるかもしれません。絵で食べていけるのは、ほんの一握り。好きを応援するのはいいけれど、現実的なんだろうか、と。オーストラリアの路上で実際に絵を売って暮らし、そして絵を「副業」にする決断もしてきた織田さんに、この問いをぶつけました。
「本当に、ゼロ100で考えなくていいよ、と。社会人にも生徒にも、よく言っています。画家一本で生きるのもすごいことで、尊敬します。でも僕自身、いまも青楓館で働きながら、アートの販売は細々と続けているんです。それ自体で、すごく豊かなんですよね」
ゼロか100かで、考えなくていい。この前提に立つと、進路の解像度が一気に上がります。1on1で生徒と話していると、「アートしかやりたくないのか、アートをしたいのか」「人の依頼を描きたいのか、自分の中身を描きたいのか」が、一人ひとり本当に違うのだそうです。人の依頼に応えるのが好きならデザインの道があり、自分のものだけを表現したいならアーティストの道がある。
そして「アートでしか食べたくないのか、アートをしていられればオッケーなのか」で言えば、後者の子の方が多い。それなら、別の仕事をしながらアートを続ける生き方も、堂々とした選択肢です。白か黒かではないグラデーションで、その子に合った先を提案していく。ここまで踏み込んだ進路の設計ができることが、青楓館がHotaru BASEをやるもう一つの理由だと、織田さんは言います。
家で絵ばかり描いている子に、できること
では、いま家で絵ばかり描いている子を見ている保護者に、できることはあるのでしょうか。織田さんとHotaru BASEチームが大事にしている合言葉は、「枠を狭めない」です。
たとえば、描くのは好きだけれど、あまり外に出たくないという生徒。彼女には、デザインやイラストの仕事を小さく1件試してみること、ストーリーも描けるので漫画に応募してみること、コンペやフリーマーケットに出てみることを伝えているそうです。絵や表現の世界の中だけでも、進路やキャリアは驚くほど多様にあります。
ポイントは、描くこと自体を変えさせようとするのではなく、アウトプットの先を、そっと差し出すこと。「こんな展示会があったよ」「こんなコンペを募集していたよ」。それだけで、同じ「描く」が、外の世界とつながり始めます。
「今、答えを出さなくていい。試しながら、自分の裸の感覚が一番合う、2番目に合う、3番目に合うを見つけていこうね、と伝えています」

蛍の光を、絶やさないために
Hotaru BASEはまだ始まったばかりです。それでも織田さんの目標は、はるか先を見ています。「ルイ・ヴィトンのような、誰もが憧れるブランドと一緒に取り組めるくらいの存在にしたい」。冗談ではなく、本気の目標です。
その根拠として織田さんが挙げるのが、生徒たちの変化の大きさです。入学したときと卒業するときの「伸び率」は、日本で一番なんじゃないかと僕らは思っている。保護者からは「うちの子がこうなるとは、まったく思いもしなかった」という声をよく聞き、生徒自身も同じことを言うそうです。入学したときには見えていなかった光が、卒業するときには、しっかり光って出ていく。
世の中には、いま、うっすらとした閉塞感があります。社会人になりたくない、この世の中で子どもを育てていける気がしない。そんな若い人の声を、織田さんも耳にしています。だからこそ、大変な状況を突破して前を向いた子どもたちの表現には、見る人を明るくする力がある。失望を感じている人にこそ触れてほしいと、織田さんは言います。蛍の光は淡くて、短い。でも、確かに光っている。その光を絶やさずに社会へ届けることが、Hotaru BASEの仕事です。
(プロジェクト責任者・織田尭さんの半生については、紹介記事「海外の路上で絵を売って暮らし、大企業で新規事業を創る。異色の教育者」をご覧ください。)



