青楓館高等学院(兵庫県明石市・芦屋市)を訪れる子の中には、最初、うつむいたまま、ほとんど言葉を発しない子がいます。話しかけても、返ってくるのは「はい」か「いいえ」だけ。あとは隣に座る保護者が、代わりに答える。
その子たちが、数年後には、まるで別人のように変わっていきます。青楓館には、そんなビフォーアフターが、生徒の数だけあります。この変化を、一人ひとりに起こしているのが、学院長の藤原照恭(ふじわら・てるやす)さんです。
藤原さんを一言で言うなら、人と、その可能性を、深く信じている人。その信念は、幼い日に本人が下した、一つの決意から始まっていました。
構成・取材/Flying Penguin編集部
【プロフィール】
藤原 照恭(ふじわら・てるやす)
青楓館高等学院 学院長。1990年生まれ、神戸市出身。関西学院大学大学院修了。ケニアのNGOで国際協力に携わったのち、IBM・アクセンチュアでITコンサルタントとして約5年間従事する。AO入試(現・総合型選抜)専門塾で校舎の立ち上げと運営を担い、開校1年目から100名を超える規模に育てる。その後、代表・岡内大晟と出会い、青楓館高等学院の学院長に就任。左足に障がいがあり、幼少期の入院や母の言葉を原点に、「できないことはない」を伝え続けることを人生のビジョンに掲げる。
幼い日に、「諦めない」と決めた
藤原さんには、左足に障がいがあります。幼いころは、それを理由に、多くのことを諦めてきました。その藤原さんが「諦めない」と決めるまでには、二つの経験がありました。
一つは、小学校の高学年のとき。足を伸ばす手術のために、二年間、親元を離れて入院したことです。
周りには、さまざまな事情を抱えた子たちがいました。それでも、みんな当たり前のように野球をし、プールに入り、車椅子で競争していた。手術のあと、ベッドに固定されて動けない藤原さんのために、先生が棒と板で、寝たまま使える机をつくってくれたこともありました。
そこで筆算をしながら、藤原さんは思ったそうです。机に向かって勉強できること自体が、こんなにもすごいことなのだ、と。できないことがあると知っているからこそ、できることは、一つ残らずやる。その感覚が芽生えたのが、この時期でした。
もう一つが、母の存在です。母は、地元で寺子屋のような小さな塾を営んでいました。やんちゃな子も、学校に行きづらい子も、分け隔てなく受け入れ、誰のことも最後まで諦めない。その母が、足を理由に諦めがちだった藤原さんに、ある日こう問いかけます。
「そうやって足を理由に、すべて諦めるの?」
この一言が、決意の瞬間でした。足を理由に、自分から何かを諦めることを、藤原さんはやめると決めます。「諦めない」を、自分で選び取ったのです。

その決意を、まず自分で生きた
「諦めない」と決めた藤原さんは、その決意を、まず自分自身の人生で生きてみせます。「足が悪いからできない」と言われることに、人一倍抗ってきた。関西学院大学へ進み、ケニアのNGOで国際協力に飛び込み、その後はIBMやアクセンチュアで、コンサルタントとして働きました。
一見ばらばらに見えるこの歩みには、一本の軸が通っています。それが「選択肢」です。
「一言で言うと、選択肢なんです」
見えていないこと、できていないことを、自分が介在することで、見えるように、できるようにする。
ケニアでは、途上国の「当たり前」の基準の違いに向き合い、人に何かをできるようにさせることの難しさを思い知りました。次に、大人の「できない」を仕事の力で「できる」に変える手段として、コンサルタントの道を選びます。ケニアにいながら外資系7社に自分でメールを送り、返事の来た一社に飛び込んだ、というエピソードにも、藤原さんらしさがにじみます。
できることは全部やる、という少年の決意を、大人になっても手放さなかったのです。
一言で言えば、人の可能性を、深く信じている
そんな藤原さんが、最後にたどり着いたのが、子どもの教育でした。きっかけは、コンサルタント時代の、ある瞬間だったといいます。自分がつくった提案が通り、取引先から「来年もぜひ藤原さんで」と言われる。多くの人が喜ぶその場面で、藤原さんは、辞めよう、と思ったそうです。
当時はダブルワークで、夜は子どもたちと向き合っていました。生徒から「自分のやりたいことに気づけました」と言われるときの手応えが、あまりにも大きかった。
「お金よりも、そっちだと思っちゃったんです」
大人の「できない」を「できる」に変えるのは、計画書や提案書に落とし込める。けれど、子どもの「できない」が「できる」に変わる瞬間は、そうはいかない。
「子どものできないをできるに変える提案書は、書けないんです」
想定できないからこそ、面白い。その言葉の奥にあるのは、人と、その可能性を、深く信じる姿勢です。どんな子にも、まだ誰にも見えていない可能性がある。藤原さんは、それを本気で信じています。

少年の決意が、子どもたちの「諦めない」を後押しする
かつて藤原さん自身も、足を理由に諦めかけた一人でした。だからこそ、「できないことはない」と伝え続けることを、人生のビジョンに掲げています。不登校や、障がいや、何かを理由に、自分のやりたいことを諦めないでほしい。それは、自分だからこそ説得力を持って言える、と藤原さんは考えています。
「諦めない」という幼い日の決意は、いま、周りの子どもたちの「諦めない」を後押しする力になっています。その手応えは、生徒一人ひとりの変化に、はっきりと表れています。
たとえば、本当は英語が大好きで、海外に行きたい夢を持っていた子。けれど自分に自信が持てず、高校二年で転校してくるころには、その夢を諦めかけていました。
それが、文部科学省の留学制度に挑戦してスリランカに渡り、自分に発信の力があることに気づきます。動画で発信を重ね、最後には制度の代表に選ばれ、その実績を武器に、大学へと進みました。
冒頭の、歌手になった子もそうです。いくつかの事情を経て転校してきて、はじめはホテルで働きたい、次はプロジェクトマネージャーになりたい、と将来像を描いていました。
大学の総合型選抜に出願する直前まで進んでいたのに、ある日「本当は歌手になりたかった」と打ち明けます。もう一度だけコンテストを受けて、だめなら大学に行こう。そう決めて挑んだ結果、合格してしまった。今は自分の曲を世に出しながら、歌手の道を歩いています。
「どの生徒をとっても、一人ひとりのエピソードが言えるくらい、ビフォーアフターがあるんです」
言葉少なだった子が、自力で海外へ飛び、ステージに立つ。その一つひとつが、藤原さんの「諦めない」が、誰かに届いた証です。
だから、青楓館という学校がある
人の可能性を信じ抜く。その姿勢が、そのまま形になったのが、青楓館という学校です。
掲げる理念は「右にならえの教育に終止符を」。みんなと同じことを、同じようにできること。それだけを評価してきた教育のあり方を、問い直そうとしています。
藤原さんが大切にしているのが、一人ひとりの個性で評価される、総合型選抜という入試です。これまで「弱み」とされてきたものが、そのまま「強み」に変わる。その瞬間に立ち会える場所だからです。
「総合型選抜は、弱みが強みに変わる瞬間を経験させてくれる入試なんです」
できないことがあるから、できることは全部やる。かつて少年が下したその決意は、いま、青楓館という一つの学校になりました。そして藤原さんは、その学校で、学院長をつとめています。
できることは全部やる、という幼い日の決意は、人と、その可能性を信じ抜く一人の大人を形づくりました。かつて自分が諦めかけた場所で、いま、子どもたちに「できないことはない」と伝え続けている。その人が学校のトップに立っていることこそが、この場所のいちばんの安心材料になるのだと思います。
(後編では、その教育を日々支える先生たちと、質を守るための採用について伺います。)




