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ありのままを認めて育てる罪

『裸の王様』はみなさんご存知ですよね。服を着ていないはずの王様が、騙されたことで服を着ているつもりで街中を歩いてしまう話です。

結局、王様は「王様は裸だ!」と子供に言われて「え!自分ってやっぱり裸だったのか!」と気づく訳ですが、これが教育と関連が深いと思っているんです。

裸の王様ぐらいわかりやすい例だと気づきやすいのですが、意外と裸の王様は街中にたくさんいると思っています。

というのも昨今、世界のトレンドは「多様性」です。個性を認めよう、ありのままを認めよう、とする風潮は増しています。(この風潮を「ありのまま信者」と名付けます。)

この状態、教育者としてはとても危機感を持っています。

なぜならありのままを認めて育てるは【罪】になる可能性が大だからです。裸の王様ならぬ、『裸の若者』が大量発生します。

ありのままを認める教育は、素晴らしいです。ですが〇〇がないと、ただのワガママ集団が出来上がります。

【ワガママ集団の例】

  • 自分の権利しか主張しない人
  • 自分の思い通りにならないと機嫌を損ねる人
  • 自分のことしか考えておらず、周囲の人に迷惑しかかけない人

「ありのまま信者」による指導で、「裸の若者」が大量発生しないようにこのnoteを書いています。よろしければご覧ください。

なぜ、ありのままを認めてはいけないのか?


逆説的ですが、私が運営している青楓館高等学院では「ありのままを認めていこう」と常々言っております。コンプレックスも、トラウマも、特性も全てを承認し、その生徒らしさを伸ばす教育を提供しよう。と言っています。

おいおい、いきなり矛盾だらけやんか。と思われるかもしれませんが、「ありのままを認める」前に、大事にしているモノが根っこにあるので大丈夫だと思っています。

では、なぜ当校は大丈夫で
なぜ、他はだめ?なのか。

「ありのままを認める=なんでも許す」は間違い。

例えば、勉強ぎらいな子供がいたとします。『ありのまま信者』だと、勉強が嫌いな子供に対して、「そのままでいいんだよ」と存在を肯定します。

その子が大人になり、上司から「こんなことも覚えられないのか!入社何年目だ!」と怒られたとします。すると「勉強するのが嫌いなんだから、仕方ないだろ。教え方下手くそか!」と否定された自分を肯定するために、上司を否定します。

学校や家族は「ありのまま」を認めてくれたのに、社会が認めてくれなかった図ですね。

次は、社会も「ありのまま」を認めてくれた図で見てみましょう。


上司:「あ、勉強が苦手なのがあなたの特徴だもんね。ごめんね。」
   「これはいいから、あっちの仕事やってくれる〜?」

一見、素敵な上司に見えるかもしれませんが、続きがあります。


上司:「もうこっちの仕事も他の人の方が適任だから、明日から来なくっていいよ!お疲れ様〜!」

笑顔でクビを宣告されてしまいました。

ここまで露骨でないにしろ、「ありのままを認める=なんでも許す」の考えでは【通用しない】のが世の中です。

  • 集中力がないんだよ→→→→→→→→→→それでいいんだよ
  • 朝起きるのが苦手なんだよ→→→→→→→それでいいんだよ
  • 友達と話したくないんだよ→→→→→→→それでいいんだよ


「それでいいんだよ」と
声をかける【だけ】でいいんでしょうか?…本当に?

ありのままを認める前に


またまた逆説的ですが、青楓館高等学院では

  • 集中力がないんだよ→→→→→→→→→→それでいいんだよ
  • 朝起きるのが苦手なんだよ→→→→→→→それでいいんだよ
  • 友達と話したくないんだよ→→→→→→→それでいいんだよ

と、言っています笑

おいおい、またまた矛盾かよ。と思われちゃいますが、この発言をする前に大事なことを生徒たちに伝えています。

それは【自由と責任】という言葉の意味です。

自由の反対語は、責任です。みなさんは青楓館に入学した時点でかなりの自由を得ます。ただ、自由と責任は一長一短。自由が大きくなれば、責任も大きくなります。さあ、入学した今、みなさんはどんな責任を背負ったことになるでしょう?

↑こんな話を全生徒にしています。

当校にも起立性障害などで、朝起きられない生徒は結構います。当校の場合、朝から通学しなくっても全然大丈夫です。つまり自由を手にしています。他方、どんな責任を背負っているかを考えてもらっています。

朝起きられないのは仕方ない。けど、

・その症状があることを事前に教員に伝えておく
・就職などで将来への選択肢を狭める可能性があるので、どうするか考える

このように対応策は無数にあります。自由だけを主張するのではなく、その自由を勝ち取るための行動について考えていこう。という教えです。


これが個性の活かし方だと考えています。
自由と責任のバランスを理解した上で、自分の特徴を活かす。自由だけを「認めて!」と嘆くのは反則!というわけですね。

ちなみに、当校では他にも

  • コトに向かおう
  • 他者の個性を承認し賞賛しあおう
  • 挑戦し続けよう
  • (自由と責任を体現しよう)

この4つを青楓館生として、最低限守らないと行けないことだと伝えています。青楓館の生徒ならば、できて当然だよね。というやつです。

また、教育とは「当たり前の基準を作ること」だと私は定義しております。つまり、教育を展開している限り、最低限の当たり前は生徒に教えないと行けないと考えております。

(一方、当たり前を無視する「ありのまま信者」の教えの中では教育は不必要。)

では、その当たり前とはなんであるか?

青楓館の場合、
①コミュニケーション能力
②マインド(道徳心・思考力)
③答えのない問いに向き合う力

この3つだと考えています。

人の悩みのほとんどは人間関係の悩み。

①その悩みの解決となる「コミュニケーション能力」を磨き、(ちなみに新卒が求められるスキルも「コミュニケーション能力」が一位)

②ダメなことはダメだと判断できる道徳心と
 困難の乗り越える思考力を磨き、

③理想の自分に近づいていくための力を磨く。

これは、高校卒業後にも必要となる素養だと思っており、これらを身につけさせるのが現状の青楓館の当たり前にしていきたいと考えております。

(※その実現のために教育システムがあるのですが、またの機会に)

『右にならえの教育に終止符を』と個性教育を掲げている青楓館ですが、上記に関しては唯一の「右むけ右」の教えです。みんな身につけてね!って価値観です。

おいおい、個性は無視かよ!とあえて矛盾を生じる箇所を持っています。

では、本題に戻ります。
この土台があるから、ようやく「ありのまま」を認めることができると思っています。

「ありのまま」を認め、育てるのは悪なのか?

ここまで読んでくださった方は、ご理解いただけると思うんですが

「ありのまま」を認め、育てるのは悪なのか?

に対する回答は、悪ではない。が、「ありのままを認める=なんでも許す」は間違い。教育(土台)が必要。…と思うのです。

「個性を大事に」「多様性の社会だもの」という風潮が増している中だからこそ、『ありのまま信者の罪』を主張したいです。

裸の王様のように、肯定され続けたことで大恥をかく若者が増えないように。ありのままを認める前に「土台があるか、どうか」を確認して欲しいと思っています。

ありのままを認める教育は、素晴らしいです。ですが【教育】(土台)がないと、ただのワガママ集団が出来上がります。

  • 自分の権利しか主張しない人
  • 自分の思い通りにならないと機嫌を損ねる人
  • 自分のことしか考えておらず、周囲の人に迷惑しかかけない人

そんな人たちが溢れかえる世の中にしたくない、と思っています。

少しでもこのnoteがきっかけで、【自由と責任】を考える若者が増えることを願っています。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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